ワイス博士の「前世療法」の中に出てくるマスターの言葉は、
多分、私が昔から聞きたかった、知りたかったことがたくさん書いてある。
「生まれるときも死ぬときも、自分で選択している。生きた年月でなく、どれだけ学んだか、どれだけ成就したかによって計られる人生。慈悲、希望、信仰、そして愛。見返りを求めない行いー」
俗世を生きる私たちは、見返りと正当化ばかり求めている。
聖職者たちは、見返りを求めず、多くのものを捨てている
ここはちょっとうる覚えだけど、
全ての出来事に時間の概念はない。
早いも遅いもない。
このタイミングでと、初めから決められているのだから。
何を焦っているのか?
何を怒っているのか?
そこが腑に落ちると、人の見方が変わる。
信頼とか裏切りとか、そういう概念がなくなるのではないかな。
私は、かなり前から人に対して信頼とか無かったのだと認識した。
仲間によって恋人を取られ、音楽も奪われ、人間は信用出来ないものだと思い込んでいた。
ずっと不運な人生だと、
自分の内なる言葉を信じるより、疑うことを選んでいた。
もう辞めようや、こんな人生。
全ての不運な出来事は、自分で不幸だと決めつけたことで引き寄せた出来事。
もう全て終わりにしよう。
落とし込めるかなぁ…