Jazzと癒しと自分らしさ

<Jazz屋の主人の独り言>  

ベートーヴェンの悲愴

ひと山超え、またひと山、

今まで一杯いっぱいだった気持ちに、

少し余裕が出てきたような気がしています。

「あっ、何となくヒマだな」

と思う瞬間が出て来ました。

 

「ピアノでも弾こうかな」

弾き始めたのがベートーヴェンです。

ピアノソナタを数曲弾き始めました。

悲愴、月光、などなど。

きっと、

苦悩に満ちた音を表現できる絶好のタイミングかなって思います。

 

ベートーヴェンは、モーツァルトと違って音が多く、

和音も厚くて、ダイナミックもはっきりしています。

今は、モーツァルトの音の繊細さより、

ベートーヴェンの壮大さや悲壮感を表現したい。

 

以前に比べれば、

弾いている最中のネガティブ感情は激減しました。

とってもありがたいことです。

 

ヒトは、いろんな経験を重ねて

尖った部分が削られていく。

私は、高校生の頃から削り削られ続けています。

数秘的に言うと、

私は2-5-11なので、

(過去数―誕生数―未来数)

元々感受性の強い数字ばかりです。

まして未来数11はマスターナンバでもあり、

生涯を通して学びが高度です。

 

オリジナリティーにポリシーを持っていて、

自分で開拓したい気持ちが強く、

失敗ばかりしています。

アクティヴなため、

飛び出ることも多くて、

へし折られることも多かった。

相方からも、何度かへし折られたのでした。

 

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でもね、

いつかみんな丸くなるんだ

時がそうさせる。

私の母は、大分物忘れが激しくなった。

今までは、それを見ていた父が母をバカにしていたが、

最近は諦めたらしく、

「あまりあれこれ言うな」と私に言う。

 

母は、本当に苦労が多いヒトだ。

そして、人一倍人のために生きている人。

ほんとうは、

もっといろいろ身の回りの世話をした方がよいのかもしれないが、

私は敢えて手を出さないで、二人に任せている。

母のことは、父の仕事だと思っている。

今までずっと苦労を掛けていた母への償いだと。

父がまだ生きているということは、

まだやり残していることがあるからで、

きっとそれは、母への奉仕なのではないかと思っている。

 

「折り合いをつけなさい。

自分にも、他人にも。」

諦めるー許す―手放す

 

きっとね、

これから起こる一つ一つの経験を通して、

ヒトとして角が取れていくんだ。

だから私も成長すればいいんだ。

私たちは、まだ何もしていない。

ヒトとして、まっとうに生きようとし始めたばかりだから。

 

 

今日は、音源を貼り付けます

気分は、「のだめ」かな。

 


ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章

 

願いは叶う