Jazzと癒しと自分らしさ

<Jazz屋の主人の独り言>  

「諦める」とは~手を放すこと

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また雨が降っていましたが、夕方止みましたね。
今日も訪問いただき、ありがとうございます。
 
昨日、コラムを書きながら
改めてツインソウル系のブログを読んでみました。
そして、改めていろいろ思いました。
 
このところ毎日、いや極論言うと1時間前の自分が違っています。
もう、昨日書いた内容が全く違う見え方をしているのです。
明らかにひと山超えてきている、そんな気がしています。
今日は、そんな観点から書いてみたいと思います。
 
前回のブログから明らかに違うことは、
「やっと自由になれそうな自分がいる」
ということです。
「今までの出来事に、一枚の薄いベールが掛かった」
そんな感じがします。
 
私と相方は、物理的にお互いの存在を常に意識できる位置にいます。
自分からは何も発信しなくても、
どんな状態でいるのかがわかる位置にいます。
そして私は、次女を通して相方への想い、
自分への思いを体感しているのだろうと思います。
 
見守っているつもりでも、
多干渉になっていたり、
不安に駆られて動いてしまったり・・・
でもね、人間だからいろんな感情が動くわけで、
いくら信頼できていても、
気持ちは揺らぐものなのです。
 
そのあとの自分のあり方が大事で、

怖がっていつまでも引きずっているのか、
さっさと手放して先へ進むのか、
要は、自分の不安をどう解決するのかということだと思うのです。
 
何をやっていてもほっておける。
変化をじっと見ていられる。
何も引かない、何も足さない。
 
共依存の関係で相手が回避依存症の時は、
とにかく「手を放すこと」なのです。
「手を放して、放して、離す!」ことです。
そして、いつも中心は自分にあるのです。
 
相方と表面上は、何も変わっていません。
どんどん離れています。
多分もう、
私に出来ることは、離れることだけなんだろうなって。
離れないと、いつまでも回避依存を繰り返し続けるだろう。
 
生きることに本気になるって、
自分と向き合うって、
汚い部分も、
情けない部分も、
みっともない部分も、
ずるい部分も
無能な部分も、
全てから目を反らさないってこと。
蓋をしていたものを認めること。

そして、

自分を愛すること。
 
恋愛は、付き合うってことは、
お互いに、それらから目を背けないってこと。

なのです。

 

男と女の向き合い方は違うけど、

きっと、

自分の課せられた課題を乗り越えれば、

程よいバランスが見つかる時が来る。

 

願いは叶う

-To be continued-