Jazzと癒しと自分らしさ

<Jazz屋の主人の独り言>  

スネスネMocoちゃん

今日も訪問、ありがとうございます。

昨日は一日中、Trinityの記事を書いていました。

書き終わったのは、日付が変わってから。

もー流石に眠くて、そのままベッドへダイブしてしまいました。

 

3000字って、結構書けそうなのですが、

要点2個がいいところかな・・・

・小さな不快を快にする

・自分自身をガチで生きる

・何に拗ねているのかを書き出す

・自愛と自立etc…

一つのことを掘り下げるだけで、何時間かかることか。

次回は、自立と自愛について書きたいなと思っています。

 

私が拗ね始めたのは、多分幼少期だと思う。

記憶にはないけど、昔から破壊魔だったような気がする。

モノを壊すという意味ではなく、感情が爆発的という意味。

自分の感情は、表に出してはいけないんだって思った事件があったのだろうな。

別れるということがとにかく嫌いで、よく泣いていた。

スピードも怖かった。

自分の感情を表に出す事が、とにかく恥ずかしかった。

男兄弟の真ん中で育った割には、繊細な神経だったような気がする。

 

兄をいじめる母。

私にとっては、出来ないことがそんなにダメなことなのかと感じていた…

私にとっては、全然普通の兄だったけど、

「まともなことが出来ない子」

「私には厄介な子」という両親の思いが家じゅうにあふれていた。

 

今でも兄を認められない父。

世の中、何でもありありだなんてとても思えないのだろうな…

どんなに強がったって、いつかは朽ち果てる。

まだ生きてるということは、

やるべき課題をの残しているということなのかな…

 

「私がいい子でいないと、母が病気になってしまう」

「私が頑張らなきゃいけないんだ」って、幼心に思っていた。

 

「おまえは普通でいいんだ。女は家を守っていればいいんだ。

ウチは裕福でないのだから、分相応でいるべきなんだ」

父によく言われていた。

私は、この言葉が大嫌いだった。

 

「勉強をたくさんして何が悪い!」

「勉強をたくさんすることを反対するとは、他の家では考えられない。

子供のやりたいことを応援するのが親だろう!」と思っていた。

もうこの頃から人のせいにしているね。

「自分は何も出来ない。ピアノも上手になれないのは親のせいだ!」

自分が思うように練習出来ないことを棚上げして、人のせいにしているね。

「やりたいことが思うようにできない!!」と、思いっきり駄々っ子。

残念ながらそれは、今も続いている。

自分の気持ちとどう付き合ったらいいのか、全く分からなかった。

結局小4の頃、ピアノは辞めてしまった。

(でも、中一で再開してから現在に至る)

 

子供の頃は、

身の回りの環境は、自分ではどうにもならないと諦めていた。

だから早く働いて、自分で自由に使えるお金が欲しかった。

そうすれば、電話も移動も誰に遠慮することなくできるから。

 

それでも、少しずつ自分で切り開いていくことを覚え、

大学はどうしても行きたかったから、

一年働いてから行くことになった。

でも、全ての根源は

「私は不幸だ、私は何も出来ないんだ、私は何をやっても下手なんだ、

私はバカだから仕方ない、ウチが裕福でないから仕方ないんだ」

と、超スネスネ根性全開だった。

それでもここまでやってこれたのは、周りのおかげでもある。

まあ、それも自分の運だと思うけど、

やっぱりかなりのチャレンジャーで、

かなりの破壊魔なんだろうなと思う。

 

もう、ここまで来たら拗ねる要因は何もない。

何でも出来るし、何をしたらよいかも判っているから。

 

今の世の中も、同じように破壊的なエネルギーを欲していると思う。

 

自分という枠を外して、どこまで破壊できるか、

このひと月は、そのことだけに集中していきたいと思う。

 

今日の一枚(ウィズダムオラクルカード)

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喜びと充足感

願望が今、楽々と叶おうとしています